それではですね。私、今日、54年の慰労会ということで、このような席を設けていただいておりますが、当然、私一人でやってきたことではありません。
黒子のように僕を支えてくれた、製造部の鈴木部長。僕の54年の仕事のうち、47年を支えてくれました。
普段は黒子ですから、あまり見ることがないと思いますけれども、ぜひこの場で黒子を労って欲しいと思いまして、呼んであります。
鈴木部長、前の方に。
(会場拍手)
■鈴木部長
鈴木です。実際に社長と会ったのは、たぶん50年くらい前だと思います。
それからずっと今まで、社長の短い脚を引っ張って、頑張ってきました。
これからも社長とはずっと付き合っていくと思いますので、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
(会場拍手)
こんなに長く、続けて来られたのも、お客さんあって、また販売店あって。
問屋さんからもお花をいただいたり、同業者のメーカーさんもわざわざ忙しい時に来ていただいたり。
自分はこの業界でやってきて、こんなに皆さんに良くしていただけるなんて思ってもみなかったです。
自分は本当に「ラジコンが好き」というところからはじまって、高校卒業と同時に(この仕事をはじめました)。
実は大学に行きたくないという(理由がありました)。一つ大きな目標があったからなんですね。
「ラジコンが好き」
ずっとやっていく中でいくつかのポイントがありまして、まずラジコンの通信販売からはじまりまして、三越のデパートでも売り場を7年間、鈴木(部長)にも手伝ってもらってやりました。
非常に面白い経験もさせていただきました。
その後、(展示物を指し)あちらにも飾ってありました「RC12」。1977年に発売した車。
これがメーカーとしての出発点です。
(社名は)株式会社横堀商店となっていましたけれども、国内では横堀模型という名前で、海外向けにはヨコモという2つの名前を使い分けていました。
メーカーの方は、のちにヨコモという名前に切り替えることにして、皆さんに
助けていただいているといいますか、言い方はおかしいですけれども、「自分の楽しみのお付き合いをしていただいている」。そして自分は働かせてもらったという。
もう本当に夢だけでやってきましたので、「模型業界がこうあったらいいな」と、自分が仕事をやっていく中で、みなさんがやらないこと、やれないことを、ちょっとうぬぼれがありますけれども、そういったことをやることで、皆さんと共にラジコンを楽しめる状態を作っていこうと、メーカーとして品物を作るということと同時に、環境の整備をやってきました。
この谷田部アリーナもまさにそうで、平成元年10月、はじめてのオフロードインターナショナルレースウェイとしてはじめました。
そこからは知っている方もいらっしゃると思います。
そのように、やりたいことをやりたいようにやってきて、谷田部アリーナはこのように素晴らしいものになりました。

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