「徒然草 第百五十段」をRC風に現代語意訳
ラジコンがうまくなりたいという人の中に「下手なうちは、誰にも見られないようにしよう。コソ練して上手くなってからレースに出た方が、カッコイイはずだ」と考える人がいる。
しかし、このような考えの人が上達し、レースで活躍したという話は聞いたことがない。
まだヘタクソな頃から操縦台に立って、たくさんレースに出て、マシンをぶつけて恥をかきながらも走り続けるべきである。
そうすれば天性の才能などなくても、必ず上達する。自己流になって長期のスランプに陥ることもない。
そして最後にはエキスパートドライバーとして人に認められ、尊敬されることだろう。
いま活躍しているどのようなトップドライバー達も、最初はヘタクソだった。
他人のマシンに突っ込んで迷惑をかけることもあれば、つまらないミスで笑われることもあっただろう。
しかし、正しく練習し、諦めなかったことで、誰もが認める存在になることができた。
これは、どのようなカテゴリでも一緒である。
■原文
能をつかんとする人、
「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」
と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

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